誰かが

高校の同窓会で久しぶりに会ったことで、部活動の同窓会をやろうかという話になりました。

と言っても発起人は同じ部活の人ではなく、そもそも同窓会には元部員たちは出席していなかったので、はたして部活の同窓会と言ってよかったのかはわかりませんが。

その部活は文化部の一つで、今でこそ40~50人の大所帯で全国大会にも連続で出ている活発なものです。しかし私がいたころは全学年合わせても10人に満たなく細々と活動していました。(我々の代は私を含めて3人でした)その3人と発起人、さらになぜか顧問ではなく教科や担任としてお世話になっていた先生の計5人で行われました。

話が尽きることなく時間が過ぎていったのですが、当時部長だった方の言葉が印象的でした。

その彼が、私は高校時代に「自分探しをしていた」というのです。

自分の記憶が定かではないので肯定も否定もしませんでしたが、先生もそれをわかるとおっしゃったのです。

 

私たちは常に多くの人と関わりながら生活しています。そしてやり取りもしているわけです。

自分ではそのつもりがなかったとしても、少なくともそう見せていたからこそ相手はそう感じていたということは認めなければならないでしょう。また、別の言い方をすれば、我々の行動は誰かが見ているといえるのかもしれません。

 

見られているから言動を意識するわけではありませんが、恥ずかしくないよう注意することは必要でしょう。

 

高校生活の3年間、生徒の皆さんは多くの人と接していきます。その中ではいろいろな「声」を聞くことになるでしょう。もちろんすべてが正しいわけではないでしょうし、すべてを聞き入れる必要もないでしょう。しかし自分がそう見せている・誰かが見ているということは忘れないで欲しいと思うのです。